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誰も書かなかった 池田大作創価学会の真実

http://cultbokumetsukonzetsu.web.fc2.com/04s06.htmlより

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誰も書かなかった 池田大作創価学会の真実

2002年7月25日初版

元創価学会教学部長 原島嵩(はらしま たかし)著

【転載】

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当時、第三代会長職にあった池田大作(現名誉会長)の講演や著述のゴーストライターのグループ『特別書籍部』の局長という、学会の中枢に配置され、日蓮正宗の教義を広宣流布すべく、池田に仕えていました。

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山村 原島さんは「総体革命論」所謂、創価学会の日本乗っ取り計画の企画者だと聞いたことがありますが、事実なんですか。事実としたら相当、罪深いことをやってきたわけですね。

原島 事実です。総体革命論を起案したころの私は純粋の池田党員で、池田の言葉に心酔していましたから、日本の世直しは創価学会からと信じていました。詳細は省きますが、最終目的は政官財界を支配するために、優秀な学会員をこれらの組織に配置して、内部に秘密結社のようなグループを作り上げることでした。神崎氏などはメンバーの一人で、検事に任官していたわけですから……。

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 証言内容は、私なりに自信があります。何(いず)れ、このインタビューも記事になるわけでしょう。当然、不特定多数の読者が記事を見るわけですから、内容に信憑性がなければ、私の人格まで疑われてしまいます。ここで話したことは、私の四十年余りの学会生活のなかで、池田側近の一人として十三年にわたって見聞した事実を話しているわけです。それも、元教学部長としてです。

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池田のスキャンダル・金と女と名誉慾

原島 それほど豊富な実例は知りませんよ(笑い)。池田のカネと女に関するディープな話題は、それこそ、いろいろな人が書いており、嚆矢はなんといっても「月刊ペン事件」でしたね。あの一件で女性問題が噴出したわけですが、池田の女好きは相変わらずで、あれ以来、やり方が巧妙になってきたました。また、池田専属になると出世も早く、候補者は秘密を守れる学会一家の娘さんから選んでいたんです。

(略)

原島 それと、全国各地にある学会施設には池田専用のゴージャスな部屋が作られており、そこに泊まるときは必ず二人の秘書を伴い奉仕させるようですが、二人というのがみそで、池田に特別のおねだりをしないよう相互監視でお互いを牽制させるんです。そんなとこにも池田の猜疑心が働くわけですが、それでも、やるべきことはシッカリと実行するそうです。(笑い)

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ニセの遺言

 池田はこうしたウソを平気で作りあげることを得意としています。たとえば、戸田会長が昭和三十三年四月二日に逝去されます。その時の最後の言葉は「追撃の手をゆるめるな」ということになっています。私は、今にも亡くなっていく、衰弱しきった戸田会長が、このような遺言をするはずがないと思い、昭和四十七年ごろ、池田に直接確認したのです。「先生、本当に戸田先生は“追撃の手をゆるめるな”と言われたのでしょうか」といった質問をしました。それに対し、池田は平然と「あの言葉はオレが作ったんだ」と語ったことがありました。私はびっくりしました。あれだけ創価学会員ならだれでも知っている戸田会長の遺言「追撃の手をゆるめるな」が、誰あろう池田の作った言葉だったとは! この言葉は、時にして宗門に向けられたり、創価学会を批判する人たちに向けられたりしました。それより以後になりますが、昭和五十五年当時、中西治雄総務(すでに私は造反者として扱われ、中西氏が私の窓口になっていた)にも同じ質問をしました。「戸田先生の最後の遺言は何だったのですか」と中西氏に質問をぶつけると中西氏は、「みんなと仲良くということだった」と答えたのです。

(略)

これで、池田だけが、戸田会長の、最後の遺言を聞いたとし、自己の正統化の演出に戸田会長を利用したことまでもが明らかになったのです。それにしても、戸田会長の大切な最後の臨終を前にしての言葉さえ、デッテ(チ)上げる池田の、師に対する感覚は、異常なものとして私の目に映ります。

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辻武寿が皆を代表して『先生、次の会長は誰にするんですか」と、単刀直入に尋ねた。

 先生は、はっきりとした声で、『それは、お前たちが決めるんだ』と、答えられた。当然、『池田』という返事が返ってくると期待していた辻は、あわてて『先生、先生、三代会長はどうするんですか』とせき込んで聞いた。

 先生はふたたび『それはお前たちが決めるんだ』と強く言って横を向いてしまった。最高会議のメンバーは全員何も言えずにそのまま引き下がった。

 この時、戸田先生は、はっきりと後継者は池田でないことを明確にされたのである。その後、二年間創価学会の会長がいなかったのは、この日の会合で戸田先生が、池田を指名しなかった結果である」

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池田は、戸田家から強引に持ち出した刀を「自分が戸田先生から生前に拝領した刀」とし、自分が、戸田会長の生前から会長に指名されていたように装ったのです。

 これまで述べてきたように、池田の入信神話もウソ、戸田会長の「獄中の悟達」もウソ、池田の大阪事件のまつわる数々のウソ、昭和三十三年三月十六日のエレベーター相承のウソ、「追撃の手をゆるめるな」という戸田会長の遺言のウソ、「戸田会長から拝領した刀」というウソ、七つの鐘のウソ等、ともかく戸田会長を悪用したウソがあまりにも多いのです。

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 こうした池田の性格を変え、権力と野望の権化と化したのはいつごろでしょうか。

故石田次男氏は、それを昭和三十二年の大阪事件の時と見てます。(石田氏は「池田の退転」という言葉をも用いている)後に故篠原善太郎氏(元東西哲学書院社長、『人間革命』のゴーストライター)と語り合ったときも「池田先生が、国家権力に対して復讐の戦いを始められたのは、大阪事件からである」ということでした。

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要するに、池田が自分自身を日本国の最高権力者と位置づけ、また自分が日蓮大聖人のご遺命である公宣流布を達成したと戒壇の御本尊に報告する、というものです。それにしても、いったいどこが「私は謙虚な人間です」なのでしょうか。"ブラックユーモア”としか、いいようがありません。

(略)

『私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である』

(略)

(『人間革命をめざす池田大作その思想と生き方』)

 池田は自分自身を「日本の国主」「大統領」「精神界の王者」「思想文化の一切の指導者」「最高権力者」と称していますが、全く気違いじみています。それをかしこまって聞いている幹部の姿を思い浮かべる、滑稽でさえあります。

(略)

 現在、自公の連立政権が進んでいますが、これも実質的には自創であって、創価学会が「天下を取る」との構想がその根底にあり、そのルーツは、昭和三十九年、四十年、四十一年頃の池田の発想に由来しています。

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この卒業論文については、桐村泰次氏(現副会長)が書いたものです。

(註釈等:池田氏の短期大学の卒業論文についての文脈)

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「言論部員」によるいやがらせの投書は、段ボール数箱文に及んだといわれます。また、出版社にも毎日のようにハガキ、手紙、電話による脅迫が続いたそうです。こうした投書や電話攻勢は「言論部員」が、会館に集まれて、上からの指示で書かされたり電話をかけたものです。こうした圧力は、藤原弘達氏に対してだけではありません。あらゆる学会批判出版物に対してなされたのです。

 昭和四十五年に入ると、この言論出版事件は、共産党のみならず、社会党や民社党も、国会の場で厳しく追及するようになりました。

(略)

それでは、この事件(註釈:言論出版妨害事件)を通じて、創価学会の何が変わったのでしょうか。このころから、池田はよく「外部豪華客船、内部戦艦」と口ぐせのように語るようになりました。その意味は、外から見た日には反戦、平和団体のように装い、その中身は、より強力な独自の官僚機構を構築し革命集団としての機能を充実させることにありました。

 また従来の「王仏冥合」という言葉の代わりに、「総体革命」ということが協調されるようになりました。これが、政治の分野のみならず、マスコミ界、法曹界、警察、官界、教育界、それそこあらゆる分野に、池田の息のかかった人材を送りこむということで、日本国乗っ取りのための、網の目のような構図をつくることにありました。この総体革命という言葉は、私が池田に進言したものです。しかし、その「要所要所を全部、学会員で占める」という発想そのものは、池田が会長就任以前から、ずっと胸に描いていたものです。

(略)

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増え続ける創価インベーダー

昭和五十一年春に書いた、池田あての報告書があります。

 それによれば、それまでの実績として、「弁護士三十三名▽検事十八名▽判事三名▽修習生十六名▽国家公務員上級職三十六名▽外交官上級職九名▽同中級職八名▽語研十八名」という数字が挙げられています。

 さらに、この報告書では「(1)合格者の掌握と信心の訓練、(2)総体革命戦略の構築、(3)<創価学会、公明党の>特殊問題に対する戦略ブレーンとしてのこれらの人材の活用、(4)各分野の情報交換、情報提供」といった提案がなされ、これからの目標として、「今後五年間で現在の倍増、十年間で現在の四倍に達すること、検事は各都道府県に一人、十年後には二人配置できる人数となる。国家公務員は各省庁に、外交官は各国に配置できるようにしていく」と記されています。

(略)

これは今から二十六年前に書かれた報告書です。

(略)

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はっきりといえば、公明党は、池田を守る、そして天下を取るためには何でもする政党なのです。日本の国が、かつての戦時体制の時代に逆戻りしようが、そんなことはお構いなしなのです。こうみていくと、創価学会(=公明党)の存在がいかに日本の国にとって危険な存在かがわかります。池田はつねづね「マスコミが『しまった』と思ったときが広宣流布である」と口にしていましたが、彼の戦略は、国民が知らないうちに、権力への布石を敷いておくこというもので、これほど国民を愚弄した話はありません。しかし、どうやら国民の大多数がこの危険性を肌で感じるようになっています。今ここで池田の野望を許したら、日本国はとんでもない方向へとつき進んでしまいます。そえを許さないためにも、創価学会=公明党を監視する社会常識をもった一般国民の存在は非常に大きいのです。

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「なずな」というのがあります。全国のホステスを組織化したものです。

「自然友の会」という検事の情報収集グループがあります。四十年にわたって構築してきた情報網は、海外にまであらゆる分野にわたって草の根のごとく浸透しているのです。

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 創価学会には『水滸会遺誡置文二十六箇条』という秘密文書があります。これは池田自身の構想を戸田二代会長の言行録として作らせたものである、池田の隠された野心を示したものです。そのいくつかを紹介しましょう。

「◎総理大臣について

 今の総理大臣の権力は明治時代の天皇以上である。総理大臣となれば、日本を自由にすることができる権限を持つことができる。自衛隊を動かす権力を持っている。ある意味では広宣流布しやすくなったな」

「◎ 官庁閥

問 我々が将来、一番とりにくい所はどこですか。

先生(戸田二代目会長のこと) 官庁だな。それには優秀な人を抜擢して、先輩が自分より出世させ、出世したものが又後輩を引き立てて行くしかないな。警察などの場合、警部補、部課長クラスを占めてしまえば強いものだ。将来、二万の青年が各官庁や社会の重要なポストを占めるようになれば、その仲間同士で何でもできる。だから青年に国家改革を頼む以外にないのだ」

◎日本の広宣流布

 一人の議員をつかんで、自由に動かすのは、買収費と小銭費を入れて、一年に四百万(昭和三十一年当時)かかる。百人で四億円だ。それが一つのホシとなる。四億あれば日本を動かすことができる。広宣流布も最後は経済だ。だから、日銀総裁も、この中から出なければならない」

 その他「あらゆるところに星を打つ」「諸君も、財務、外務、文部の実権をにぎったときいに、堂々と広宣流布をやりたまえ」「(学会批判の新聞に対して)必ずつぶす自信がある。それには青年部をつかえばよい。金がかかるなぁ」といった発言記録がみられます。

(略)

このことは、他の発言によっても裏付けます。

「公布の闘いで、政党、学校、文化、民音等(註釈等:『民音について』の関連は重要であるからお調べ下さい) も出来た。最後に残ったのは経済だ。これから、この社長会を中心に経済革命をする。一番最後で、一番大事で、又一番晴れがましい舞台だ」(S42・ 6・25、第一回社長会)

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 月刊ペン裏工作、電話盗聴や謀略、他教団や学会批判勢力の分断工作、世論操作、買収に多額な金が使われたことも、各種批判で明らかになっています。それとて氷山の一角でしょう。池田の豪華な海外旅行、著名人や文化人との対談にいたる工作資金、海外マスコミへの金のばらまき、暴力団への裏工作など、洪水のように金がつかわれています。

 

 こうした金権工作に対して、今から十数年前、ブラジルの新聞『週刊時報』は池田の側近で副会長の鈴木啄郎が現地マスコミの買収工作をしたとの事実をスッパ抜き、「『金の力』で世の中を思うように動かせる、と考えているように思われる日本の創価学会に、改めて批判の声が渦巻いてくるのも当然だろう」と指摘しています。

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汚い手段をすすめる池田

「口八丁手八丁でよ。なんでもうまくやるんだ。社会だって方便を使っている。共産だって目的のためならみんな謀略じゃないか。一般社会だって利益のためならあらゆる手段をつかう。うちは信心のため、信心を守るため、学会を守るんだ」(S51・ 6・1)扶桑研究所にて)

 

 池田大作が平気でウソをつき、人をあざむくことは、これまで検証してきたところですが、それが組織・計画的策略となり、時として犯罪行為にまで発展していくのです。

(略)

それではなんのための謀略なのでしょうか。

1 池田の権力奪取の野望のため。具体的には、情報を武器として勢力拡張を図る。

2絶対無謬を建前とする池田学会の醜い実像を会員の目の前から覆い隠すため、批判勢力を分断、抱き込み、さらに抹殺する。

3池田カリスマの聖なるイメージを失墜させないため、自らの手は汚さず、謀略をもって代理戦争に仕向ける。

4反池田の人間、勢力を魔の勢力として位置づけるため、罰の現証をみずから与え、見せしめとする。罰は意図的に、精神的、肉体的、経済的制裁をもって示す。

5犯罪が発覚しないためのもみ消し工作。

6犯罪が発生しても、一部の人間が熱心のあまりやったこととして、事が上層部、とりわけ池田自信に及ばないようにする守りの謀略。

 こうした数々の項目が連動し複合化したところの、構造的な謀略体質なのです。

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 池田は込んで、謀略ができる人間を登用してきました。後に、渉外三局や篠塚八州師団、山崎師団、文京グループのような謀略グループなどがその典型です。彼らは、謀略そのものに少しの罪の意識はありません。むしろ、そこには池田大作に直結し、選ばれた人材として、英雄を気どり、エリート意識が発達しているだけです。

 池田は、創価学会を批判する者に対して、これを徹底的に痛めつけることを青年たちに教えました。

 昭和三十三年の四月、戸田会長の死の直前に起きた池田による僧侶リンチ事件も宗門への見せしめであり、青年たちの教訓として起こしたものです。

「日蓮正宗を守っていくことは私どもの役目です。ー中略ー創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、供養を願うような事はありません」(『聖教新聞』S37・6・9付、中部本部地区部長会)

と語ってきたのです。

 

 ところが、いまでは毎年一千数百億円とも二千億円ともいわれる財務集めが年中行事化し、自殺者まで出すような始末です。池田はこの一点だけでも、宗教者としての罪、万死に値するものがありましょう。

「一、地区幹部は少なくとも十万円以上すべきである。

 一、現在もっている預貯金全部出すのは当たり前だ。それにどれほど上乗せするかが信心の戦いだ。

 一、各支部で十万円以上出す人を三十人以上作れ。

 一、支部内で百万円以上の大口を何人作るかが、支部長、婦人部長の戦いだ」(故福島源次郎氏『試練之巻』より)

「永久に会員から寄付をとらない」といっていたことは、今日、そのウソが晴天白日のもとにさらされています。かつて池田が攻撃した邪宗教の姿が、現在の創価学会そのものです。

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 こうしたか画策と平行して、自民党田中派、田中・二階堂氏を中心にたえず選挙協力、国家対策などでエサをまき、自公連立の機をうかがい続けたことはいうまでもありません

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 創価学会批判者に対する盗聴、スパイ、見張り、尾行は執拗に行われました。裁判等で明るみに出た謀略行為は、次のごとくです。

 

 〇昭和四十五年 宮本邸盗聴事件

 〇昭和四十七年 妙縁寺における日達上人の会談内容盗聴

 〇同年     学会側と妙信講側の七回にわたる「対決討論」の盗聴

 〇昭和四十八年 立正佼成会幹部に対する盗聴と分断作戦

 〇同年     松本勝弥へのスパイと盗聴

 〇同年     日蓮正宗保田妙本寺での盗聴

 〇同年以降   静岡県の日原博県議に対する盗聴と抱き込み

 〇昭和五十三年 大石寺時局懇談会の盗聴

         学会施設を訪れた著名人の会談の盗聴

 

 なお、これでみると、池田直轄の山崎正友氏が、その作戦と実行の全面的な責任者の立場に立っています。興味深いことは、中西治雄らの「帳簿作り直し、経理洗い直し、議事録整備」の項目です。創価学会の帳簿や経理、議事録といったものが、それまでいかにずさんだったかを示しています。平成元年に見つかった金庫の一億七千万円も、それより二十年も前から貯められてきた裏金とみられます。

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「僕は知らないよ」の一言には、二重三重の池田の用心深さ、狡猾さ、謀略体質が色濃くにじみ出ているといえましょう。事実、池田は、昭和五十二年路線の“創価教”の数々がのちに露見した時、幹部や末端会員に責任を転嫁し、自らはことごとく知らぬ存ぜずで言い逃れ、わずかの反省の色も示しませんでした。

 創価学会版経本や導師座の使用にしても「会員の要望」、特別財務を御供養として集めたのも、会館で独自に法要を営んだことも「会員の要望」、都合が悪くなると総てが「会員」のせいにされます。成功はすべて自分、失敗はすべて幹部や会員に責任転嫁されます

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具体的なことは法廷でも証言しましたが、その一部を紹介しておきます。一つは、そのとき上田は、池田と関係している女性の名前を十数人挙げました。その人達の名前は、私が後に見聞きした事実と一致しています。二つには、池田が十年間、多忙で自宅にはほとんど帰ったことがないといってましたが、それは表向きの理由で、本当は各地に特別な関係を持つ女性がいたからです。三つには、第一庶務には「本当の第一庶務」と、「いわゆる第一庶務」がいます。「いわゆる第一庶務」の女性はカムフラージュのためで「本当の第一庶務」の女性は池田と特別な関係にあります。そして必ず両方から一人ずつ二人組をつくる、等々のことでした。

 

上田は、彼の夫人が池田の下着類を選択していることについての苦痛を私に訴えられました。上田夫人の京子は第一庶務の女性で、池田から「京子、京子」と可愛がられ、昭和四十三年頃から第二青葉寮の管理人となり、その一階の一室に夫妻で住んでいました。第二青葉寮というのは、北條浩が会長当時に住んでいた住宅(社宅)です。昭和四十三年頃から四十九年頃までは、池田の専用施設の一つでした。

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 私たちは、当時、すでに『人間革命』は、篠原善太郎が書いていたことを知っていました。それをいかに池田が書いたように演出し、篠原の書いたものを池田が自筆で書き直し、その原稿やコピーを「生涯の記念」にと言って、いろいろな人に分け与えていますが、私たちは口述をしているところに絶対に立ち会わせないのです。第一庶務の女性や池田夫人などの人達が立ち会っています。

 

後に、篠原善太郎が、私にこっそりと「人間革命は、実は九九%、私の書いたものを池田夫人が写しているんですよ」と教えてくれたこともあります。池田は、私たちが、篠原が代作していることを知らないと思っていたのです私は、そうしたことから口述のテープ吹き込みのからくりを知っており、私は上田の言うことが信じられませんでした。再び、二階に三人が呼ばれた時、女性の方は上気したような顔でなんとなく髪も乱れていました。

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 池田は「ウソも百篇言えば真実になる」といい、自分を守るためには、虚偽を捏造し続けてきました。池田創価学会の実態は、いかにも複雑怪奇です。日本の指導者たちは、これに対し徹底的にメスを入れることを嫌がります。どうして、その創価学会のなすがままにしておくのでしょうか。自分の身を守ることに汲々としていることは、創価学会の思うツボです。政治家はもひろん大新聞も沈黙し、創価学会問題を取り上げようとしません。逆に、池田本を発刊し利益を上げることに力を注いでいます。

 

このままでは「マスコミがしまったと思った時が広宣流布だ」という池田発言が本当になってしまいます。もし、池田が政権奪取に成功し、政権の上に君臨するようになれば、池田批判は、どんな正当な理由があろうとも抹殺されてしまいます。池田への称賛と批判封じ、いわゆるアメとムチによって日本の国に恐怖政治が敷かれてしまいます。今、日本は未曾有の危機に立たされているのです。

【転載了】

>「69年に、政治評論家・藤原弘達氏の『創価学会を斬る』の出版を妨害した、いわゆる言論出版妨害事件

藤原弘達の葬儀に祝電を打った学会員

http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2006/03/post_a05b.html